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【震災1日目-その1-】ワークもライフもいっぺんに吹っ飛んだ
2011/04/01(Fri)
2011.3.11

この日、震災にあわれたすべての方へ。
必ず笑顔を取り戻すために。


以下、自己の忘備録も兼ねて、3月11日から震災のレビューを書き留めます。
(記憶が曖昧な部分もあるので、だいたいで)

--------------------------------

この日、翌日に仕事でのイベントを控えていた俺は、スタッフと一緒に配布する資料を作る仕事。
スケジュールが押していたこともあり、あわただしく、「間に合うか?」のプレッシャーを感じながら、仕事をすすめる。そして、

午後2時46分。


地震だ。


ちょっとでかいな。
(館内放送から緊急地震速報が流れる。)

ま、おさまるかな?

おさまらない!

でかいぞ!

数年前に、震度5クラスを経験していたとはいえ、
これは、、ケタが違う?

悲鳴と共に、CDラックが落ち、ガラスが割れる。
パソコンラックの下でうずくまる女性スタッフの脇を、ガラスがかすめて行った。

戦慄した。


なおも揺れる。

ながい!

こんな長いのは経験したことがない!

今にも倒れそうな、パソコンラックを後輩と2人で必死に押さえる。

まだおさまらない。

おさまらないどころか、さらにでかい揺れが来た!

くそっ。ラックが倒れそうだ。このままでは、女性スタッフが怪我をしかねない。

ちょっと揺れが収まった頃合いを見て、
ラック下にうずくまる女性スタッフに、
叫んだ。

「出て!部屋の真ん中にいて!」

周囲の本棚からは本がどんどん落ちてくる。

あまりに長い揺れに、男性スタッフが
「外に出ましょう!」
叫ぶ。

無理だ。

この揺れでは、移動もままならない。

必ず、揺れは収まる、必ず。。。

祈るようにいると、徐々に収まっていった。。

およそ2~3分の出来事だたろうか。

ただごとではない。

そう感じた。

ついに来たんだ。必ず来ると言われた、宮城県沖地震が。

このときはそう思った。(しかし、それ以上だったことを後々思い知る)

誰かの指示(おそらく上司?)で、事務室を出て、全員ホールへ向かう。

その途中でも、また揺れた!

早くも余震か。これも普通じゃない。

この間、俺の胃は恐怖心からか軽く痙攣している。

すぐ、ヨメちゃんにメールを送る。
いつ音信不通になってもおかしくない。
「大丈夫?こちら体は無事。息子をお願いします。」

続けて祖父にも
「生きてる。ヨメちゃんとyou君はこれから確認」

地震発生時、ヨメちゃんは仕事。
you君はヨメちゃんの職場の隣の院内保育所にいた。
地震後、ヨメちゃんは、すぐさま保育園に向かっていた。

しばらくして、ヨメちゃんからの返事
「you君、無事。帰りどうしよう。津波。どのくらいか」

よかった。生きてる。

祖父に再びメール
「家族全員無事」

・・?

メールが送れない。
もう一度。

ダメ。

地震発生から約20分後。もうつながりにくくなっている。

しかし、ヨメちゃんのメールにあった、津波。。。

どれくらい?

情報は全くわからない。

来るのか?
来るだろう。これだけ、でかかったんだ。

しかし、どのくらいか?何mか?
先日の地震はたいしたことなかった。

今度は?
iphoneから津波情報を調べてみる。

「宮城県、津波の予想高さ 10m以上」

10m以上!?
冗談だろ。と思った。
警戒を呼びかけるため、高めに見積もってるんじゃ。と思った。

俺からヨメちゃんにメール
「いつ帰れるかわからない。職場に残らなければならないから。帰るときに気をつけて。津波、特に。」

メールも矢継ぎ早に打つから、文脈とか考える暇はない。

この間、職場の建物の被害状況を確認。

仕事もしながら、家族の安否を気遣う。
体と頭をフル回転しなきゃならないのに、これから予想される不安感で思うように動けない。

ヨメちゃんからメール
「とりあえず、あなたの職場向かう」

え!?と思ったが、
「了解」と返す。

後々考えれば、ヨメちゃんの判断は大正解だった。
自分の職場は、周辺よりかなり高いところにあり、まず津波の心配はない。
地盤と建物ともに強固で、大抵の揺れには耐えられる。

自宅に向かうとすれば国道を通るか、
もしくはやや山寄り(といってもそう標高は高くないが)の裏道を通って行く2パターンがある。

しかし、そのころ、国道は既に津波が押し寄せていて、人も車ももみくちゃだったらしい。
(後日国道を通ったら、俺の身長かそれ以上の津波が来ていて、
家の壁やガラスにその痕跡がはっきりと残っていた。)

ヨメちゃんの判断が
「国道経由の自宅へ」
という選択肢をとっていたらと思うと、ゾッとする。

この頃、電話が繋がらないことから、俺は連絡役として隣の建物に居た。

ヨメちゃんからのメール
「今着いた」

返信する
「まってて。何処にいる?」

再びヨメちゃんからのメール
「2階にいる。津波落ち着いたら帰る予定。ジュース、お菓子持ってきた。おむつもある。気をつけて」

このへんから、メールもかなりやりとりがしにくくなる。
発信・受信まで間隔が長い。メールのやりとりままならない。

返信する
「今から行く」

送受信までさらに時間がかかるようになってきた。

不安そうなヨメちゃんからメール
「連絡くれ」

ダメもとで電話かけてみるものの、繋がらない。

返信する
「職場の建物向かって歩いてる」

職場に入ってもう一回電話をかけてみる。
繋がった!
俺:「どこ?」
ヨメちゃん:「2階の会議室の前。」

ダッシュする。
いた!
ヨメちゃんとyou君。
とりあえず、ほっとした。

ヨメちゃんが言う。
「海側のショッピングセンター。1階全部水に浸かったって。。。」

な ん だ と ?


あそこ、海から結構距離があるぞ。それが、1階全部だと?

にわかには、信じがたい話だ。

とりあえず、祖父にメールする。
「このまま、嫁と息子を俺の職場に泊める」

このメールがこの日最後となる。
時刻はおよそ18時30分。

これ以降、電気が復旧する14日まで、通信するどころか「圏外」になってしまった。

Twitterも最初の「無事です」を書き込んだきり。

iphoneの電池も残り半分を切った。

いつ通信が復旧するかわからない。
充電器は家においているし、電池が切れては元の子もない。

祖父母や親戚が心配するのはわかるが、電源を切ることにした。

息子とヨメちゃんのために、和室を用意し、寒くないように作業着やらジャンパーなどをかき集めた。
その夜、息子は安心したのか、いつもとあまり変わらないくらいに寝た。

(その2に続きます)
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