fc2ブログ
2023/09 ≪  2023/10 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2023/11
【震災4日目】山形へ
2011/04/12(Tue)
日付けが14日に変わって間もなく。仮眠中の時に、上司から叩き起こされた。

何事かと思えば、なんでも電気が復旧したらしい。

そういえば、蛍光灯がついている。「急いで○○してこい!」と言われたが、何かをしたが、よく覚えていない。

iPhoneの電源を入れると電波が入った!

途端にメールが続々と入って来た。殆どが自分や家族の安否を気遣うもの。

メールが使える!

祖父に、急ぎ山形までの道路状況を調べてもらうよう依頼のメールをする。

夜中なので普通なら朝までメール気づかないだろうけど、この事態だ。流石に気付いて、メールが返って来た。

急いだせいか、多少要領は得なかったが、
どうやら、笹谷垰と国道45号の関沢垰の両方は通れるらしい。
高速道路は開通していないが、笹谷の垰越えの部分は通れるらしい。

これで、息子とヨメちゃんを疎開させることが出来る。

いつもは、自宅から山形の実家までは、高速道路を使って1時間ちょっと。

いつでも帰れる故郷。

それが、こんなにも遠い存在になるとは思いもよらなかった。

ヨメちゃんと息子を一度職場に呼んだ。ルート確認をするためだ。そして出発。

「息子を頼む!
無事についてくれ!」

それしか考えなかった。
送り出したのが、およそ午前10時。

途中ヨメちゃんからメール

「渋滞酷い。がんばる」

返信する。
「時間かかってもいい。安全第一で」

心配だが信じるしかない。

そして、午後12時30分頃。ヨメちゃんからメール。

「着いた!」

実家についたら、余程心配していたのだろう。ヨメちゃんと息子を見て、祖母が泣いていたらしい。

いつもの倍以上の時間がかかったことになる。

自分も脱力した。

----------------

中途半端な感じかもしれませんが、震災による記事はここで一旦筆を置きます。

その後、息子を祖父母に預け、ヨメちゃんは仙台に戻りました。夫婦で震災からの復興のため、それぞれの仕事に没頭することになります。

ヨメちゃんが仙台に戻ってきてからも、原発の動向次第では、ヨメちゃんを再び山形へ向かわせることも考えました。

しかし、震災から一ヶ月たちましたが、原発は小康状態のまま。再度の山形への避難はしていません。休みが取れる日に、息子の様子を、見に行く程度です。

息子をいつ仙台に連れて来るのか。それは、生活基盤がどの程度整うのか、加えて、仕事がいつ平常勤務にもどれるのかによります。

4月7日の余震により、JR仙石線の復旧がさらに遅れました。電車通勤が基本の我が家には大きな問題です。また、仕事も翌日の勤務時間も前日でないとよくわからない状況が続いています。

昨日は震災から一ヶ月

まだ、先も良く見えない状態です。少しずつですが、まえに進んでいこうと思います。

最後になりましたが、

今回亡くなられた方へのご冥福をお祈りし、

黙祷
スポンサーサイト



この記事のURL | 311震災 | CM(2) | TB(0) | ▲ top
【震災3日目】つかの間の平和
2011/04/03(Sun)
13日は暖かい日だった。

ヨメちゃんは、職場が心配だからと、出勤していった。
津波で浸水した範囲や、それを避ける方法もわかったから、
今度は安心して送り出せた。

お父ちゃんは、you君とポカポカ陽気の中、ご近所さんと談笑しながら
平和なひとときを過ごした。

津波が来ていないところは、まるで別世界だ。

天国のようだった。

そして、日常がこんなにも尊いものなんだ、と思った。

隣の公園でサッカーに興じるやっくんパパと子供たち。

サッカーに混ざりたいような感じでウズウズする息子は、
先月産まれたというご近所さんの子犬と触れ合う。

ここだけ切り取れば、ごく普通のありふれた日曜日だ。

しかし、東の空に目をやると石油精製所から立ち上る黒煙がみえる。

10キロも東に行けば、そこは明らかに戦場か地獄だ。

ご近所さんと立ち話しながら、知りうる限りの情報を話した。

お昼。

近所の小学校に、食料配給に行ったやっくんママからバナナをもらう。
you君は、この状況を察しているのか、いつも以上の食欲を見せた。

食べっぷりがいいと安心する。

その後、you君はいつもどおり、お昼寝に入った。

そして、ヨメちゃんが帰ってきた。
様々な情報を聞きながら、

戦場に戻る気持ちで、避難所になっている自分の職場に戻った。
この記事のURL | 311震災 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
【震災3日目】生きろ -その2-
2011/04/02(Sat)

帰る途中に、電気給湯器が倒れているのが目に入った。

そういえば、、、

うちもオール電化で電気給湯器がある。

あれの中に、水が残ってるのでは?
タンクに水を貯めておき、夜間電力で沸かし上げる。
であれば、そのまま水が残っている可能性が高いことに気づいた。

ヨメちゃんに
「水を大量に確保できるかもしれない。隣のやっくんのパパと試してみる。」
と言い残し、
やっくんパパ宅へ。この団地は同じハウスメーカー、同じ仕様なのでこんな時好都合だ。

停電なので、呼鈴が鳴らない。
叫ぼうにも今は朝6時。気が引けた。

玄関のドアを叩くが、反応がない。
庭へ周り、窓を叩く。
カーテンの隙間からやっくんママと目があい、やっくんパパが来てくた。

「大丈夫でした?」
「ええ、大丈夫です。家族全員無事です」

「よかった。水、足りてます?」
「いや、心もとないです」
「電気温水器。あれにそのまま残ってるかもしれません。試してみませんか。うまく行ったら、ご近所にも教えてあげましょう」

幸いにも、電気温水器の外側に「水抜き方法」の表示があった。
これでできるかもしれない。

格闘すること10分ほどだろうか。

出た!


これほど水が貴重と思ったことはない。
しかもまだ、お風呂くらいの温度がある。

すぐにご近所に声をかけ、プチ講習会。
電気温水器は、最大200Lを超えるお湯をためておくことができる。
飲み水には十分な量だろう。

やっくん家とご近所に、ヨメちゃんと息子ののことをよろしくお願いしその場を後にした。

帰ってから、ヨメちゃんと相談する。その結果、

・山形に疎開させたいが、いつ通れるか分からない。JRも当分駄目らしい。

・とりあえず、電気が復旧するくらいまではここで粘るしかない。食料は1~2日程度はあるが、そこまでだ。

・それ以降は、やっくん家はじめご近所と協力しながら乗りきる。

・山形にいけることが分かったら、作戦を考えよう。


この後、ご近所さんで、バッテリーから携帯充電させてもらって、ある程度iphoneの電気も回復できた。
これは、非常にありがたかった。

あとは電波の回復、電気の復旧を待つばかりだ。

(つづく)



この記事のURL | 311震災 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
【震災2日目~3日目】生きろ -その1-
2011/04/02(Sat)
地震発生の夜から翌朝まで、ほぼずっとラジオを聞いていた。

よくも、絶望的な情報を延々聴き続けられたと思う。

ずっと地名に耳を傾けていたが、自分の住まいやその周辺の名は聞こえてこない。

と、いうことは、
多分、自宅は被災していない可能性が高い。

まだ、襲来した津波は引かないようであったが、
ヨメちゃんと相談し、
午前中に自宅へ帰ることとした。

しかし、自分は地震後の対応があるので、一緒に行くわけにはいかない。

自宅までは、川を2本超えなければならない。橋がおちてなければいいが。。。

ヨメちゃんには、
「絶対無理はするな。ちょっとでも厳しいと思ったら、ここに戻ってこい。
無事、帰宅できたら、必ずご近所さんに声をかけろ。居なかったら団地の誰でもいいから捕まえろ。」

と伝えた。

自分はいつ帰れるかわからない。
ヨメちゃんだけで、you君の世話も含め上手に立ちまわってくれるだろうか?

ヨメちゃんと息子を帰した後、最も心配だったのが、水と食料である。

災害に備えて、2Lのペットボトル2本と乾パン、缶詰などは用意していたが、
いつまでもつかわからない。ライフラインの復旧もいつになるか今のところ不明だ。
冷蔵庫に何が入っていたのか、覚えていない。。

やはりカセットコンロ買っておくべきだった。。

こうなっては、
ご近所さんに頼るしか方法がない。

加えて、翌日も携帯は使えない。
無闇に使うと、電池を使うだけなので、朝、昼、晩の3回、電源を入れてみる。

いずれもダメだった。

再び離れ離れになると、連絡をとるのは当面難しくなる。

不安は尽きなかったが。
避難所となる職場にずっと居させるわけにもいかない。

行かせるしかなかった。

「気をつけて」

その日の昼間は、避難所の仕事をしていたが、
心配していたせいか、何をしていたのかよく覚えていない。

翌日、地震発生から3日目。
上司から、一時帰宅してもいいとの許可が出た。

明るい時間帯を希望し、翌朝夜明けと同時に出発し夕方3時くらいまでとの約束で帰った。

それまでのラジオで、
「山形へと向かう国道と高速道路は、緊急車両優先とするため、一般車両は通行不可であること」
「福島の原発が、危機的状況であること」

の報が飛び込んできた。

山形の実家へ疎開させられないか、ずっと考えていたが、
それも今すぐは不可能となった。

山形への道路は通行止め。
福島経由の山形行きは原発事故のリスクが大きい。

せめてJRが動かないか。。。情報がない。

自宅近くの駅で聞いてみるしかない。

ともかく、一度帰ろう。

津波が来ていないと予想される場所を自転車で通る。

川を渡ると、そこはいつもの河原では無かった。
くっきりと、濁流が遡上した跡。

樹木はすべて上流の方向になぎ倒されていた。

堤防の中腹まで茶色く変色し、瓦礫や船、さらにはタンクローリーまで流されていた。

水田にまで津浪は来ていた。

いつもの通勤路は、ギリギリのところで冠水をまぬがれたらしい。

しかし、至る所でマンホールが浮き上がり、周囲のアスファルトが沈んでいた。
橋の継ぎ目に見たことのない、段差がある。

気をつけて走らないと、思わぬ段差に引っ掛かって転びそうだ。

帰ると、ヨメちゃんとyou君は、津浪を避けるため、2階にいた。
you君の「ぱっぱー!」の声が聞こえる。
「ただいま。パパだよ」といって抱っこする。

ヨメちゃんが言うには
リビングは、めちゃくちゃ。
テレビは倒れて画面が割れ、棚にあった本やオーディオは床に落ちていた。
冷蔵庫は前にせり出し、扉が空いていた。

地震発生時を思い出したのか、リビングに入るや否やyou君はギャン泣きしたそうだ。

泣きじゃくるyou君をなだめつつ、
ヨメちゃんはこれらを写真におさめ、ある程度かたづけたのだそうだ。

ありがとう。よくやったよ。
この記事のURL | 311震災 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
【震災1日目-その2-】ワークもライフもいっぺんに吹っ飛んだ
2011/04/02(Sat)
その夜は、今までで一番恐ろしかったと言ってもいい。
経験したことがない余震。

余震といっても、今まで経験した本震並に揺れた。
何度も何度も揺れた。

夜中はラジオを流していた。

そのうちラジオから信じられないことを言い始めた。

「荒浜地区で200~300の遺体を発見。警察が詳細を調べている」

数が尋常じゃない。

「南三陸では、役場が流されました。残された町長以下●名が救助を待ってます。助けてください」

「志津川では、病院の4階を残し水没しました。鉄筋の高い建物を除いて街は壊滅です」

信じられなかった。

町丸ごと、

自治体が丸ごと壊滅だなんて。

その他、「〇〇に取り残されてます、助けてください。」というリスナーからの情報が。

情報は、ラジオからしか無い。

しかも流れてくるのは、絶望的な情報ばかり。

ひとりでいたら、気が触れていたかもしれない。

余震の度に、怯えるヨメちゃんを
「大丈夫」というのが精一杯。

幸いにもyou君は夜泣きもせず寝てくれた。

そして、もうひとつの心配事。
自宅は大丈夫なのか。

自宅は、海岸からは離れているが、川のすぐそばにある。
川に津波が遡上することは容易に想像できた。

仮にも堤防を乗り越えたり、決壊なぞしたら、我が家は流されることは明白だった。

流れてくるラジオの地名に耳をそばだてる。
「〇〇で浸水。」「〇〇で火災」「〇〇で救助待つ」

朝まで、ずっとラジオを聴き続けて、ひとつだけ分かったことがあった。

自宅近辺はおそらく浸水していない。

そして、ヨメちゃんと相談して最初の決断をすることになる。

(震災2日目に続きます)
この記事のURL | 311震災 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ